BLUE HUMAN

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萩尾望都 対談集

萩尾望都
対談集4冊読破。
萩尾望都は生々しいのが苦手だそう

同性愛で女だと自分と同性だからねちゃっと生々しくなる。少年にすれば生々しくない。少年なのは生々しくしないための手段。なので両性具有的。
手塚治虫が男作家にできない色気のあるSF描いてほしい、男描いてるんだからと言うと。SFの色気のないとこが好きなのだと。
吉本隆明は「トーマの心臓」で男同士は実は女同士と思って見てるというと。女子校バージョンも想定したが同性だと生々しいから却下したと。
巖谷國士が「残酷な神が支配する」で娘が義父を殺すんじゃないんだと言うと。娘だと生々しすぎると。
逆に男性が萩尾作品のそこに拘るのは生々しいのが好みだからかなと。女バージョンにすると男好みの作品に早変わりすると見抜いてるからそう思うのかと。女子校のトーマの心臓、義理娘虐待の残酷な神、アランが女のポーの一族。おや、一気に男性好みな雰囲気。普通の少女漫画は少女感覚が男には理解しがたいが萩尾漫画は理解できるそうで。

逆にトラウマや抑圧を描くときは少女。描くと「イグアナ」や「残酷な神」の脇役女性の母子みたく親との軋轢が生々しい。
よく親はいない設定になる。親と子は軋轢する前に闘う前に消す。自身が親の無理解で苦しんだから。「メッシュ」で初めて親と対決する話を描いた。親を理解したいから。

トーマの心臓」は別にキリスト的に考えてたわけではない。そう見えるのは不思議な偶然らしく。
アニメーターの描く漫画は目線を追いかけられないから読みにくい。フィルムを大小してコマを繋げてるから。宮崎漫画は読みにくい。安彦良和は目線を流すことに慣れてきてる。

説教臭くなると漫画家は消える


萩尾望都・対談集
●「マンガのあなた SFのわたし 萩尾望都・対談集 1970年代編」
第1章手塚治虫「SFマンガについて語ろう」
第2章 水野英子「私たちって変わり者かしら」
第3章 石ノ森章太郎「SFの話は延々尽きない」
第4章 美内すずえ「親愛なるモー様へ」
第5章 寺山修司「月で修学旅行の案内係」
第6章 小松左京「絵の理想型とは?」
第7章 手塚治虫松本零士「マンガ、SF、アニメーション」
第8章 羽海野チカ「全部、萩尾作品から学びました」

●「コトバのあなた マンガのわたし 萩尾望都・対談集 1980年代編」
第1章 吉本隆明 「自己表現としての少女マンガ」
第2章 野田秀樹 Part.1 「オフレコにしてくれます?」 Part.2 「夢は舞台を駆けめぐる」
第3章 光瀬 龍 「百億の昼と千億の夜
第4章 種村季弘 「吸血鬼幻想」
第5章 小笠原豊樹川又千秋レイ・ブラッドベリの魅力」
第6章 伊藤理佐 「おんなの扉」
エッセイ 「ブラッドベリ体験」 萩尾望都

●「物語るあなた 絵描くわたし 萩尾望都 対談集 1990年代編」
第1章 中島らも 「恐怖の快感」
第2章 夢枕 獏 「小説をマンガで描く愉しみ、マンガ化してもらう悦び」
第3章 森 博嗣 「創作のきっかけは萩尾作品」
第4章 氷室冴子 「空想からの発想」
第5章 ささやななえ 「マンガ今昔物語」
第6章 巖谷 國士 「マンガ独特の体験」
第7章 東村アキコ 「私の人生を変えた萩尾作品」
マンガ 「わたしのデビュー時代」 萩尾望都

●「愛するあなた 恋するわたし 萩尾望都 対談集 2000年代編」
第1章 吾妻ひでお 「SF妄想世界の旅」
第2章 よしながふみやおいと純愛」
第3章 恩田 陸 「萩尾作品は私の原点」
第4章 庵野秀明佐藤嗣麻子エヴァンゲリオンのその後」
第5章 大和和紀 「少女マンガの黄金時代」
第6章 清水玲子 「マンガ的美少年」
第7章 ヤマザキマリ 「始まりは萩尾マンガだった」