BLUE HUMAN

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勝デク折寺小説「放課後遊戯」近日公開&表紙絵

折寺時代のかっちゃんとデク君の小説やっと書きあげました。前回一部をアップしてからずいぶん経ってしましました。途中で電子書籍作業とかしてたのもありますが、なかなかブラッシュアップに時間がかかってしましました。
折寺のかっちゃんは過ちを犯している未熟な子供で、間違っているからこそ書きがいもあります。そんな彼に御無体なあーれーをされてしまう巻き込まれ型デク君が主人公の小説です。
かっちゃんの心の内がはっきりとわかった今だからこそ、今更ではない今だからこそ描ける折寺があるんじゃないかなと思ってます。
堀越先生はかっちゃんをきちんとヒーローにしたくて謝罪させんだなと思われますね。謝罪についてはキャラ的には賛否会ったんではないかな。キャラものだと内心の変化をにおわせつつも変わらない方が解釈自由で今まで通り扱えて楽だったりするし、そんな彼が良くてついてるファンもあるだろうし。
実際、現実はこういうタイプは謝罪しにくいけれど、だからこそ漫画で描く意味があると思いますね。彼らが必要だと思わない行動だから。それがひいては最善なのだと気づかない行動だから。
自分の心にさざ波を立てる存在。それが恋愛でも競争心でも敵意でも嫉妬でも、自分の心の内だけで処理するのが普通。でも相手を害したり他人もそうせよと促すは■■のすることですね。後にさざ波が止み己の心の内を認めても謝罪までは思い至らないのは、善悪ではなく快不快で動いているから。攻撃することで自分を守るといえば聞こえはいいけど要は自分をかわいがってるにすぎないわけです。快不快の原理で生きている限り変わることはないのです。過ちは過去にだけあるのではないのです。また同じ状況になったらまた同じことをするだろうし、周囲にもそうみられ続けるだろうと思われます。残念だけど自分がどうして不快と感じているのかを正しく分析せず、短絡に間違った快を得る手段を使う人間はいるんですね。でもって内に秘める人より外に出す人間の方が長生きだったりするのがなんとも。。
善悪を知り罪を自覚し、相手への理不尽を認め謝罪という不快なことを行いやっと人は変わるといえます。彼らにとって謝罪の意味が重いから。でも、人によっては謝罪の意味が軽く、相手やその場をコントロールする手段である面もあったりするのがまた困りものですが。

とりあえず近日ピクシブと自分のHPにいつものようにR18版と全年齢版をUPするので、折寺愛好家の方、折寺なふたりのあんなことこんなこと見てもいいかなという方ぜひどうぞ。

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R18版表紙絵

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全年齢版表紙絵