BLUE HUMAN

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創作における過渡期の少女

過渡期の少女の生々しい部分が創作ではうける
昔の吉田秋生今日マチ子原作舞台コクーン幾原邦彦のアニメ
同じ思春期の生々しさでも女のリアルなのと男の描く想像のでは違うがどちらもある
成熟した生物としての生々しさえぐさ。
が、女も女の子もふわふわしたものが好きで生々しいものは好きではない。
思春期の女の子はふわふわが生々しさを得る過渡期の微妙さが禁忌的であり
ふわふわからの生々しさへの嫌悪と迷い
自分が違うものになってしまう恐れと葛藤
男の子にせよ女の子にせよ子供のままで成熟した生物になる
まだ親になる意味もなく覚悟もなく
でも生物として生物の性への関心がある
憧れと恐れがある
何になるのか受け入れたときに成長する
つまり普通になる
当たり前のことと受け入れてタフになる
でも創作としては思春期の色気はなくなる
男だと「源氏物語」で遊び人の間は魅力的だった光源氏
痛い目に逢い改心して女漁りを止めた途端魅力をなくすような。

少年→過渡期→男→おっさんは、少女→過渡期→男→おばさんとは創作での扱いはちょっと違うかな。
少年の過渡期はエディプスコンプレックスとか親父越え的なものの方が創作で扱われやすい感じ